6月の歴史研究会は、田上の駅を再検証
24日は、午前中はふるさと歴史研究会があり、1日かけてのかしわぎ学級と大忙しでしたが、それぞれ多くの皆さんにご参集頂き有意義な研鑽を深めることができました。
ふるさと歴史研究会では、最初に私の方から、8月8日の田上本町会館で開催予定の金大生(佐川ゼミ生)の田上本町での聞き取り調査報告会について、なる木責め・なりますなりますの伝承やお宮さん、昔の遊び等で聞き取り調査を行い現在まとめ中であり、出来上がれば研究会でも発表してもらうことにしていることを報告。亀田さんからは、4月の歴研で学びました「古代北陸道と田上駅」について、氏が再調査と研究を重ねまとめた『田上郷の歴史の謎に迫る』なる資料や古代駅配置図等を交えて、田上の駅は田上に存在していたと主張、その根拠として、①田上本町に「京殿(きょうでん)」と呼ばれる高台の下に、立石という地名が存在していること②南加賀から二俣越えの古代道は、長坂から野坂を経由した道筋があったこと③奈良時代の田上郷の集落数が50集落であったこと④小坂郷最古の文書に「小坂郷戸主道公人守」とあり、橋場は田上郷に含まれていないことなど、血洋里研究結果を熱ぽく語られました。いずれにせよ、学説も定かではなく、田上地内に『田上駅』があったとのロマンを大切にしていきたいものです。