歴史研究会で若松と牛坂を探求
18日、新年最初のふるさと歴史研究会を開催、前回研鑽しました若松荘の成立の謎に迫るの中で、中瀬(現上若松町)に住んでいました若松荘地頭職の備後彦太郎氏が、六波羅探題の評定職として六波羅攻めの闘いで敗北し、430名余の武士が自害した地で、今も祀られています寺院・浄土宗本山 八葉山『蓮華寺』(滋賀県番場宿(中山道)にあります)を訪れた亀田さんの写真等を、公民館で若松のまとめと一緒にスライド化した資料を最初に映写し説明させて頂きました。お寺のある番場宿は中山道の宿場町で、今も歴史の面影を残す地であり、蓮華寺は由緒正しい人員で今も、自害しました430名の子孫がお参りしているそうで、歴女も多くが訪れているそうです。
若松の歴史をまとめたものを確認して頂きながら、亀田さんから、最初に旭用水の調査結果を写真で説明し、引き続き研究の途中経過としながらまとめられた「牛坂村の成立の謎に迫る」と題した資料と字名表を掲示しながら、年毎の歴史を振り返りながら牛坂村の謎解きを報告されました。
次回2月22日の歴研は、外部からの先生を招いての特別講演会といたしますが、3月の歴研(22日)では、牛坂村のまとめを報告頂くことにしています。