「岡のみちしるべ」とは・・・
Posted by 金沢市田上公民館 on
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田上公民館で平成4年発行された『わがふるさと・今・むかし』では、田上の駅の紹介があり、「駅」の存在理由の一つに越中越えの二本の道路の分岐点に建つ「道標」があり、ダンプで破損され民家に保存されていましたが、現在は、区画整理組合の事業により元の場所に復元されました。
この「岡のみちしるべ」は、右・ゆわく道、左・ともろ道(戸室)と刻まれ、戸室から二俣・越中へ行く道の案内道標で、藩政時代は、戸室石の運搬にも使われ、この道から小立野へとつながっており「石引道」となります。なお、右は湯涌への道しるべ案内で、田上本町から銚子へと浅野川沿いの道ですが、川の氾濫等の関係で湯涌へはあまり使用されていないとのことです。
この道標の建つ場所は、田上本町の出村で「岡」と呼ばれ、蓮如上人もこの道を二回ほど利用して田上の地を訪れており、地域の人達から「岡のみちしるべ」として大切にされていました。また、蓮如さんは、田上本町の茶の木(現在のピカソ付近)で歌も詠われています。なお、この道しるべの建立時期については、蓮如さんが建てたとの伝承の他、藩政時代との市埋蔵文化センター説もありますが、貴重な青戸室石を使用していることや蓮如さんも通られたこと、二俣等への祈りの道でもあったことから、蓮如さんの死去後、門弟衆や僧侶等の寄進によって建てられたとの説が正しいのではないでしょうか。(亀田輝之氏記述から館長記)